白い花を摘む幼い手

スピリチュアル 考えていたこと

子どもの頃の感じ方を忘れずに

プロフィール小 

ゆるりらサユリ

自己流でネットビジネスを始めるも失敗続き。年齢的にもうダメかと思った時に奇跡的にメンターと出会い、ノウハウやテクニック以上に大切なことを全て教えていただきました。おかげで、今はゆる~くリラックスして独りビジネスをしています。

見える?感じる?

私は、子どものころ

少し変わったところがありました。

 

「私は今、目の前のものを

こんな風に見ている。

でも、他の人には

違うように見えているのかもしれない。」

 

「私は、このリンゴは赤い

と思って見ているけれど、

みんなにも赤く見えるのかな?

本当は何色なんだろう?」

 

 

「もしも、この世界から

生きているものが何もいなくなったら、

変化するものがなくなって、

時間って止まるのかな。」

 

 

また、

人が亡くなるときに、

亡くなった方が知らせに来るのを

感じたこともありました。

 

 

家の窓の一枚だけが、

ガタガタ ガシャガシャ

と音をたてたり。

 

 

家の玄関の方から、

はっきりと人が挨拶する声が聞こえるので、

行ってみると誰もいなかったり。

 

 

それらの後には、

決まって電話がありました。

亡くなられたという知らせです。

 

人間はそんなにすごくない

「自分が目に見えている物事が

全てではない。」

 

「自分の目には見えなくとも、

存在するものがある。」

 

という感覚がありました。

 

 

 

「人間が感じることには

限界がある。」

 

「人間は

そんなに優秀じゃない。」

 

「人間は

自然の中の小さな存在だ。」

 

「人間は

いろいろなものを作り出したり、

発見したりするけれど、

それは既に自然の中にあったもので、

人間が創造したものではない。」

 

 

そんな風に思っていました。

 

子どものころを思い出して

いろいろと書き出してみましたが、

現在の自分を振り返ってみると、

子どもの頃の感覚が

薄れていっているように思いました。

 

傲慢な心を手放します。

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