操作される情報、見えなくなる現実──私たちはどう向き合うべきか
このページを読むとわかること
私たちは毎日、テレビやインターネット、新聞などからたくさんの情報を受け取っています。
でも、そのすべてが「本当の現実」を伝えているとは限りません。
このページでは、
- どうして有名人のニュースばかりが目立つのか、
- 大切な社会の問題があまり報道されないのはなぜか、
その理由をていねいに解き明かしていきます。
また、
- 戦後の日本で行われた報道のルールや、
- ニュースの裏にある力関係、
- メディアがどのように人々の気持ちに働きかけているのか
についても紹介しています。
このページを読むことで、
私たちが情報をどう受け止めるべきかを考えるきっかけになり、
「本当のことを知ろうとする力」を身につけることができます。
知ること、疑問をもつことが、よりよい社会につながっていくのです。
はじめに:なぜ「俳優の死」はニュースになるのか?
身近な疑問から見えてくる、「情報の選別」という構造
ニュースで有名俳優の訃報が報じられると、
多くの人がショックを受けます。
これは当然の反応ですが、
なぜそれほどまでに大きく取り上げられるのでしょうか。
背景には「視聴率」や「クリック数」を重視するメディアの構造があります。
たとえば、社会福祉の問題や労働環境の悪化といった話題は深刻であっても、
感情に訴えにくく、注目されにくいと判断されやすいのです。
つまり、
報道されるニュースには「伝えるべき価値」だけでなく、
「売れる価値」が常に問われているのです。
※メディアが感情に訴えるニュースを優先する背景には、視聴率や広告収入重視の構造があります。(出典:『ジャーナリズム企業経営試論』(東京大学大学院情報学環))
情報の「選別」は誰が決めているのか?
では、その「選別」は誰がしているのでしょうか。
報道機関の編集方針、スポンサーの意向、政府との関係性など、
さまざまな力が複雑に絡み合っています。
たとえば、ある企業の不祥事があったとしても、
その企業がテレビ局の主要スポンサーであれば報道が控えられることがあります。
このような「見えない圧力」が、
日常的にニュースを形成しているのです。
※スポンサーとの関係や編集方針が、報道内容の取捨選択に大きく影響を与えることがあります。(出典:Noam Chomsky & Edward S. Herman 『Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media』(1988年) 邦訳:『マニュファクチャリング・コンセント―マス・メディアの政治経済学』(NTT出版 2007年))
私たちの感情も「設計」されている?
感動や驚き、怒りや悲しみ…
こうした感情は、ニュースの中で効果的に引き出されます。
しかしその背景には、
「共感を呼ぶ物語」として編集された情報があります。
つまり、ただの事実ではなく、
「ストーリーとしてのニュース」
が流されていることに気づく必要があります。
そうした感情の操作に気づかず受け入れてしまうと、
本来考えるべき課題から目をそらされてしまうのです。
報道の原則と、現実との乖離
GHQのプレスコードに記された「理想」
第二次世界大戦後、日本の報道に大きな影響を与えたのが、
GHQ(連合国軍総司令部)によるプレスコードです。
これは「公正・中立・正確な報道」を求める一種の憲章でした。
たとえば、民族差別の禁止、過度なナショナリズムの抑制など、
理想的な報道の形が掲げられていたのです。
表向きは「民主主義のための報道自由」を重視したものとされています。
もちろん、
連合国や占領軍に対する批判的な報道をしないよう、制限することが大きな狙いです。
(以下は、プレスコードより、一部抜粋したものです。)
-
連合国に関し虚偽的または破壊的批評を加えてはならない。
-
連合国進駐軍に関し破壊的に批評したり、不信や憤激を招くような記事は掲載してはならない。
-
連合軍軍隊の動向に関し、公式に発表解禁となるまでその事項を掲載または論議してはならない。
※戦後GHQは「プレスコード」により報道を統制し、WGIPを通じて歴史認識の形成に影響を与えたとされています。(出典:NHK放送文化研究所)
※1945年9月19日、GHQは「日本に与うる新聞遵則」(SCAPIN-33)を発令し、日本の新聞・出版活動に対する報道基準を定めました。このプレスコードは、10項目から構成されていました
これらの規定により、GHQは日本の報道機関に対して厳格な検閲を行い、連合国や占領軍に対する批判的な報道を制限しました。(出典:ウィキペディア 、コトバンク)
それが今、守られていないという矛盾
しかし、現在の日本のメディアはどうでしょうか?
偏った報道や、ある問題にだけ極端に注目する姿勢、
または完全に無視する態度が見られることがあります。
これは、GHQの掲げた「理想」が守られていないという証拠でもあります。
報道の原則は掲げられていても、
それが現場で機能していなければ、意味はありません。
規範はあっても「現実」は異なる
多くの報道機関には「報道倫理綱領」と呼ばれる内部規範があります。
しかし、
それらが徹底されているかは疑問です。
たとえば、ある政権に批判的な報道が続いた直後、
そのメディアが政治的圧力を受けるような事例もあります。
このように「現実」と「理想」との間には深いギャップがあるのです。
メディアが抱える構造的な問題
「広告主」と「視聴率」に左右される報道
テレビや新聞は基本的に「広告収入」によって成り立っています。
したがって、視聴率や購読者数が低下すれば、
メディアの存続自体が危ぶまれます。
たとえば、
社会的に重要な問題でも「地味」と判断されれば
スルーされる傾向が強くなります。
代わりに、有名人の結婚や離婚といった話題が取り上げられるのは、
明確に視聴率を狙った結果です。
これは、
報道が利益を優先して情報の本質を見失う例といえるでしょう。
政府との密接な関係、「記者クラブ制度」の閉鎖性
日本独自の「記者クラブ制度」は、
政府機関や大企業の情報を限られた報道機関だけが得られる仕組みです。
この閉鎖性は、
情報の多様性を阻む大きな要因となっています。
たとえば、
フリージャーナリストや独立系メディアが
記者会見に参加できないという問題もあります。
こうした制度は、
報道の自由を逆に縛るものになります。
報道が本来持つべき「公共性」を損なう危険があります。
※日本の記者クラブ制度は一部のメディアに限定的な情報アクセスを許す仕組みであり、情報の多様性を妨げるとの批判があります。
(出典:『記者クラブ制度の実証的研究』(国際社会文化研究所)、 『日本のジャーナリズムを問う “記者クラブ制度”の弊害』(Japan In-depth) )
チョムスキーの「プロパガンダ・モデル」に見る報道の偏り
ノーム・チョムスキーは、「プロパガンダ・モデル」において、
メディアが企業利益や国家権力に都合よく動く構造を明示しました。
たとえば、
「恐怖」「敵」「愛国心」といった要素が過剰に強調される報道は、
人々を無意識に操作しやすくする仕組みの一つです。
これは、日本でも当てはまる現象であり、
メディアリテラシーの重要性が高まっています。
報道を受け取る私たちにも主体的な理解が求められます。
※チョムスキーは、メディアが国家権力や企業利益に従属する構造を「プロパガンダ・モデル」として提唱しています。(出典:Noam Chomsky & Edward S. Herman 『Manufacturing Consent: The Political Economy of the Mass Media』(1988年) 邦訳:『マニュファクチャリング・コンセント―マス・メディアの政治経済学』(NTT出版 2007年))
歴史から学ぶ、日本のプロパガンダのかたち
戦前の戦意高揚と大本営発表
戦前の日本では、
「大本営発表」によって戦況が意図的に美化され、
国民の戦意を高めるための情報操作が行われました。
たとえば、
敗戦が近づいていても「勝利に近づいている」と報道されていたことは、
後の歴史が証明しています。
このような事実は、
国家が意図的に現実を歪めることが可能であるという例です。
報道が独立性を失うと、情報は真実から離れ、
プロパガンダへと変化してしまいます。
占領期の検閲とウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム
戦後、GHQは日本のメディアに対し厳しい検閲を課しました。
特に「戦争責任は日本にある」という意識を国民に植え付けるためのプログラムとして、
「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)」が存在していました。
この影響で、
歴史認識や戦争に関する報道が長期にわたり偏ってきたと言われています。
つまり、占領による報道操作は、
現代にも影を落としているのです。
戦後から現代へと続く、目に見えにくい操作
情報操作は戦時中・占領期に限らず、
現在も形を変えて続いています。
たとえば、「空気を読む」という日本独特の文化は、
無意識の検閲を社会に根付かせています。
その結果、自主規制が蔓延し、
報道機関や個人が「語るべきことを語らない」傾向が強くなっているのです。
これは、操作される情報に私たち自身が加担していることでもあります。
私たちは、どう向き合えばいいのか?
鵜呑みにせず「一歩引いて眺める」視点
すべての情報を信じるのではなく、
「これはどう編集された情報か?」と一歩引いて眺める視点が大切です。
たとえば、
SNSで拡散された情報が感情的なものであればあるほど、
一度冷静に立ち止まり、出典や背景を確認する姿勢が求められます。
その一歩が、情報との健全な関係を築く大切な第一歩となるのです。
複数の情報源をもつことの大切さ
一つのメディアに依存することは、
情報の偏りを受けやすくする危険があります。
新聞、テレビ、ネットニュース、海外メディアなど、
複数の視点を持つことで、より客観的な判断が可能になります。
たとえば、
同じ出来事でも報道の仕方がメディアによって大きく異なることに気づけば、
「報道には意図がある」という前提が理解しやすくなるでしょう。
「疑う」だけではなく「問う」という姿勢
すべてを疑うのではなく、
「なぜこの情報が今、報じられているのか?」という問いを持つことが大切です。
それは、批判的思考を育てるだけでなく、
自分自身の情報との向き合い方を見直す手がかりになります。
つまり、「問うこと」こそが、メディアとの健全な関係を築く第一歩なのです。
おわりに:静かな目覚めが、社会を変えていく
情報の海に生きる私たちにとって、最も大切なのは
「無意識のうちに操作されているかもしれない」と気づくことです。
そして、その気づきが「静かな目覚め」を生み出します。
一人ひとりが報道の背景にある構造を理解し、
情報と主体的に向き合うことで、
社会は少しずつ変わっていくはずです。
真実はいつも、表層の向こうにあります。
大切なのは、そこへと目を向ける意志なのだと思います。