見える?感じる?
私は、子どものころ少し変わったところがありました。
「私は今、目の前のものをこんな風に見ている。
でも、他の人には違うように見えているのかもしれない。」
「私は、このリンゴは赤いと思って見ているけれど、
みんなにも赤く見えるのかな?
本当は何色なんだろう?」
「もしも、この世界から生きているものが何もいなくなったら、
変化するものがなくなって、時間って止まるのかな。」
また、
人が亡くなるときに、
亡くなった方が知らせに来るのを感じたこともありました。
家の窓の一枚だけが、
ガタガタ ガシャガシャ
と音をたてたり。
家の玄関からはっきりと人の挨拶する声が聞こえて行ってみると、
誰もいなかったり。
それらの後には、
決まって電話がありました。
亡くなられたという知らせです。
人間はそんなにすごくない
自分が目に見えている物事が全てではない。
自分の目には見えなくとも、存在するものがある。
という感覚がありました。
人間が感じることには限界がある。
人間はそんなに優秀じゃない。
人間は自然の中の小さな存在だ。
人間はいろいろなものを作り出したり、発見したりするけれど、
それは既に自然の中にあったもので、
人間が創造したものではない。
そんな風に思っていました。
子どものころを思い出して書き出してみましたが、
現在の自分を振り返ると、
子どもの感覚が薄れていっているように思いました。
傲慢な心を手放します。