羽の上のタンポポの綿毛

考えていたこと 自由で幸せな日々

誰のための人生なのか?

プロフィール小 

ゆるりらサユリ

自己流でネットビジネスを始めるも失敗続き。年齢的にもうダメかと思った時に奇跡的にメンターと出会い、ノウハウやテクニック以上に大切なことを全て教えていただきました。おかげで、今はゆる~くリラックスして独りビジネスをしています。

結婚後も親の顔色を気にしていた

私は、結婚した後も

親の顔色を気にしていました。

 

結婚の翌年、

家を構えることにしました。

 

どこに建てたらよいか考えた時、

パートナーに頼んで

私の実家の近くにしました。

 

パートナーの実家の近くにも

候補地はありました。

 

パートナーは、

建てるのはどこでも良いという考えでしたので、

それならばと、

自分の実家の近くにしてもらったのです。

 

 

自分の親の、

特に母親の顔色を窺っての事でした。

 

 

私が実家の側に家を建てると言えば、

母親も悪くは思わないだろう。

 

なるべく波風を立てずに済ませたい。

そう考えたのです。

 

 

このように、

大人になっても、何かを決める時は、

自分の考えではなく母親の考えを優先していました。

 

 

正確に言えば、

「母親なら○○と考えるだろう」

と忖度して生きていました。

 

 

学校卒業後に決まった仕事の勤務地は、

実家からかなり遠い場所でした。

 

そのおかげで、

実家を出てアパートを借りることになりました。

 

もしも、

無理してでも実家から通えるような場所であったなら、

実家を出る機会は

もう少し後になったと思います。

 

 

自分も、

勤務地への通いやすさではなく、

母親の考えを優先していたでしょう。

 

 

私にはなるべく家にいてもらい、

家の手伝いをしてほしいという

母親の考えが見え隠れしていました。

 

家から私が出ることを

寂しいと思うのではなく。

 

譲れない決意

仕事は、

定年までずっと続けるつもりでした。

 

というより、

途中でやめるという事を言い出せなくて、

 

ずるずると定年まで働くことになるのだろう

と思っていました。

 

 

でも、ある出来事のせいで、

仕事をすっぱりと辞めることになりました。

 

 

子どもが生まれてからは、

朝早く子どもたちを実家に預けて出勤し、

 

夜のお迎えは、

早くて7時ごろになってしまいます。

仕事がどうしても切り上げられない時は、

さらに迎えが遅くなりました。

 

そのため、

子どもたちはとても寂しかったのでしょう。

下の子どもは、

少し精神的に不安定になりました。

 

 

ある時、かくれんぼをしていると、

鬼役の次女は隠れる場所を指定しました。

自分が指定したところにいるように

要求するのです。

「ここにかくれて。」

隠れると言っても、

誰にでも見えるところです。

 

もはやかくれんぼではありません。

 

 

私はこの時、

胸が張り裂けそうになりました。

 

 

毎日、子どもたちは

自分の思い通りにならない日々を過ごしていたのか。

自分は、子どもたちに、

こんなにつらい思いをさせていたのか。

 

と。

 

 

そして、

自分の子どもも幸せにできないのに、

他の人のために働くこのなどできるわけがない、

と思いました。

 

 

次の日、

来年度の人事について、

上司との面談がありました。

 

その際、

今年度限りで仕事をやめることを伝えたのです。

 

自分の人生を歩む勇気

上司は、

今年度でこの職場を去ることになっていました。

 

長年の勤務を終え、

新しい生活を始める準備もあったでしょう。

 

最後の大きな仕事となる

新年度の人事も早々と決め、

今回の面談は、

ただ確認するための形だけのもの

と認識していたようです。

 

ですから、

私からの大きすぎる要求に

納得がいくはずがありません。

 

 

罵られました。

 

また初めからやり直しだと。

 

なぜ早く言わなかったのか。

 

と。

 

(人事に関する詳細は面談にて、

と言われていたのですが。)

 

 

でも、

 

この時私は、

誰に対して迷惑がかかろうとも

関係ないと思いました。

 

誰の顔色も窺う必要はない

と思いました。

 

 

誰よりも、

自分の子どもを大切にしたいと思いました。

 

仕事上で自分の代わりはいくらでもいます。

 

でも、

自分の子どもたちの母親は

私しかできません。

あり得ません。

 

もしもここで、

子どもの側にいるという選択をしなかったとしたら、

きっと取り返しのつかないことになる

と思いました。

 

だから、

誰に何と言われようとも

これだけは譲れませんでした。

 

 

アドラーは、

「自由とは誰かに嫌われることである」

と言いました。

 

 

私は、

上司から嫌われることで、

自分の人生を自由に選択したのです。

 

 

そして、

このことは今になっても

後悔はしていません。

 

 

この選択をして、

本当に良かったと思っています。

 

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